第3回長崎原爆資料館運営審議会 被爆と戦争の歴史について長崎市として立場の堅持を

blog

3月22日、2023年度(令和5年度)第3回長崎原爆資料館運営審議会が開催されました。展示更新の基本計画の最終案の協議が中心議題です。(画像は、20日に長崎健康友の会北支部の行事で訪れた桜の里公園で撮影したものです)

審議会では、報告事項として、1️⃣展示更新スケジュールの見直しについて、2️⃣展示更新基本計画(素案)に対するパブリック・コメント実施結果の概要について、3️⃣展示更新にかかる2024年度の取り組み内容について(ア基本設計の作成 イ市民参加ワークショップの開催)、4️⃣その他(ア指定管理者制度の更新、イ収蔵資料の追加調査について)の報告を受け、質疑を行いました。

展示更新スケジュールの見直しについては、先月、市長記者発表のなかで明らかにされていましたが、この日の審議会では、運営審議会に事前の連絡がきちんとなされていなかったこと、スケジュールの変更理由の妥当性についての意見が相次ぎました。

被爆80周年、2025年という期限をもうけずに展示更新の作業をすすめることについては、市民団体からも広島の事例をもとに要望がだされていたことで、スケジュールの見直しになって良かったと思っています。

2️⃣のパブリック・コメント実施結果の概要についての報告に対して、私も質疑を行いました。それは、長崎市がこれまで被爆の実相の発信と戦争の歴史認識の関係をどうとらえてきたか確認する必要があると感じたからです。

パブリック・コメント(一覧と市の考え方はこちら)では、132件、全体の6割が「原爆投下に至る歴史に関する展示について」の意見となっていますが、長崎市の回答は「設計段階においての参考とし、さらに議論を深めていく」というもので、132件のすべてに同じ回答をあてています。

寄せられた意見のなかには「『加害展示』は現状のまま継続することが適切」「原爆の被害とあわせて、加害の歴史から戦争を学ぶとしてとても重要」といまの展示を肯定的に評価し、展示がリニューアルされてもその趣旨は残すべきという意見もあれば、逆に、「原爆投下を正当化しかねない展示はやめてほしいと思っていたので、よかった」「日本が悪かったんだと誘導するような展示にはしないでほしい」といった意見。さらには「日本はアジア解放のために戦った。(略)日本悪玉史観は絶対にやめるべきだ」といった意見もちらほらあります。

後者の意見については、素案をミスリードしているという趣旨の発言が審議会でもだされていました。同時に、審議会のある委員からは、前回に続き、「日本はアジア解放のためにたたかった、アジアの国々が独立できたのは日本が戦争をしたおかげ」といった趣旨の発言があり、別の委員から「それは当時の日本国がつくりあげたイデオロギーにすぎない」と指摘を受けていました)

今回の審議会のまえに調べてみたら、2005年9月議会の一般質問で、当時の伊藤市長が加害の歴史をどう認識しているのか聞かれ、こう述べていました。故井原東洋一市議への答弁です。

「長崎市が平和都市として核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を世界に発信しているのは、被爆体験に基づくものでありまして、長崎市の責務であるというふうに考えております。一方、議員ご指摘の被害だけではなく、加害も含めた戦争の歴史の認識は、被爆地長崎から原爆被爆の実相を訴える前提として、当然、必要であるというふうに認識をいたしております。

 ことしの平和宣言におきましても、「我が国は、さきの戦争を深く反省し」という表現でその認識を示しておるところであります。また、若い世代に対しましても、原爆や平和について学ぶと同時に、一人ひとりが真摯に過去の歴史を学ぶように求めております。私としましては、諸外国と信頼関係を構築をし、平和な世界を実現するためには、まず、相互理解が必要であり、その前提として何よりもお互いに過去の歴史を直視する姿勢が必要であると思っておるところであります。

 したがいまして、核兵器は人類と共存できない、長崎を最後の被爆地にしなければならないという長崎市民の訴えを多くの人々に理解してもらうためにも、日本国の加害を含めた戦争の歴史の認識は必要なものであるというふうに考えておるところでございます」

長崎市:平成17年第4回定例会(4日目) 本文 2005-09-08

審議会のなかで、この伊藤市長の答弁の部分的に紹介し、「被爆の実相を訴える前提として、戦争の歴史認識は当然必要」「長崎を最後の被爆地にという長崎市民の訴えを多くの人に理解してもらうためにも、戦争の認識は必要だと考えている」、この考え、立場は長崎市としていまも変わっていないか、質問しました。

事務局の長崎市からは、いまも変わっていないというような明確な回答はありませんでした。

伊藤市長の考えは、本会議の答弁であり、個人的な見解ではなく、長崎市の公式見解です。20年近くまえのものですが、いまも引き継がれるべき立場ではないかと思います。引き続き、長崎市のスタンスとして「被爆の実相を訴える前提として、戦争の歴史認識は当然必要」との立場を堅持して、今後の基本設計の策定にあたるよう求めていきたいと思いますし、鈴木市長に対しても、問いただしていきたいと思います。

審議会の実際の進行では、報告事項の2️⃣のつぎに、長崎原爆資料館展示更新計画(最終案その1その2その3その4)について協議を行い、その後。報告事項の3️⃣にうつっていく流れでした。

最終案の協議に先立ち、事務局の長崎市原爆被爆対策部平和推進課から、第2回審議会やパブリック・コメントをうけて、素案から7箇所の変更を加え、最終案としたことの説明がありました。

変更箇所を要点的にまとめると。放射線の影響による社会的差別の視点を加える、核軍縮の言葉は削除して核廃絶あるいは核兵器廃絶と表現する、平和教育の取り組みを加える、効果的に伝えられるような配置や色使い、デザイン・空間づくりを行う、所要時間や年齢別などのモデルコースを設定するなどです。

そして、展示更新の方針1ー(3)ーイー(ア)の「歴史をきちんと見つめることが未来につながる、という姿勢に基づいて検討する」とあったのを「歴史をきちんと見つめることが未来につながる、という姿勢に基づいた展示とする」に修正されました。

審議会やパブリック・コメントでだされた意見は、大枠として基本計画の最終案に反映されているのではないかと思います。一方で、原爆投下に至る歴史展示についての意見への対応は、「先送り」するという形になっているので、長崎市のスタンスがぶれていかないように審議会に臨んでいきたいと思っています。

また、今回見直すことになるCコーナーは展示面積は限られており、原爆投下に至る歴史を多角的に示すとなれば、侵略と植民地支配の歴史を紹介しているいまの展示が減ってしまうのではないかという懸念も出されています。

私も、22日の審議会のまえに改めて。資料館の見学を必要な箇所だけさせていただきましたが、なぜ長崎に原爆が投下されたのかがわかる展示は、年表にマンハッタン計画の記載があるくらいでした。多角的視点のなかには、アメリカの核開発と使用決定についてこの間の研究による蓄積も反映されるとのことですが、なぜ長崎が候補地に選定されたのかについてもわかりやすい展示となるのか注目していきたいと思います。

展示更新について、ご意見、ご要望をぜひお寄せください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました